【FGO】「ぐだデレ」は何故許されるのか?

  • 始めに

Fate/Grand Order」というスマートフォン用のゲームがあります。

売上ランキングは常に上位に食い込み、

イベントがある毎にツイッターのトレンドを席巻するほどの人気のゲームで、

今最も勢いのあるソーシャルゲームと言っても過言ではないでしょう。

 

その人気の理由の大きなところに、

そもそもが十数年の歴史を持つ「Fate」シリーズの設定を根幹としたゲームである、

というところが挙げられます。

 

緻密な設定、壮大な物語、そして――非常に魅力的なキャラクターの数々が、ユーザーの心を掴んで離しません。

 

過去作の人気キャラクター、ヒロインたちが「FGO」という舞台に揃って並び、

主人公と共に旅を進め、ユーザー達がそれぞれのお気に入りの相棒を見つけることも、

FGO」の楽しみの一つだと言えるでしょう。

 

FGO」が初めてのFateという方から、昔ながらのファンまで、

このゲームの中の世界に没入し、

人理を救うためのグランドオーダーを達成せんと奮闘しています。

 

しかしながら。

Fateという、歴史のあるコンテンツは、

必ずしも良い事ばかりを齎すわけではありません。

ツイッターなどで検索をすると、一部、下記のような感想を目にすることがあります。

 

「○○ちゃんは、過去作の主人公が好きなはず。何故FGOの主人公にデレデレしているのか!」

「このヒロインの設定はあの主人公の恋心が根幹にあるはず。FGOのストーリーは不快だ!」

「マスターなら誰でもいいのか! ○○ちゃんがこんな尻軽だなんてガッカリだ!」

 

FGOの主人公がぐだお・ぐだこと呼ばれることから、

キャラクター達が彼らにデレデレする描写のことを「ぐだデレ」と呼称します。

 

このぐだデレを、どうしても許せないという方々が一定数おります。

 

そもそも、Fateの基本設定として、キャラクター=サーヴァントは、召喚される度に記憶がリセットされるため(一部例外はあります)、過去作のものとは全くの別人という扱いになる、というルールがあります。

 

なので、「それでも悲しい」と大声で嘆いている上記のような方々は少数派であり、

多くの方々は彼らに冷笑を投げかけている、という印象がありました。

 

ただ、ふと考えてみると。

 

なんで私は何も感じないの?

あのセイバーが別の男と笑ってるのに?

なんで何も感じないの?

 

と、すんなり受け入れてしまっている自分に、強烈な違和感を覚えたのでした。

「別人だから」という設定は勿論あります。

しかし、とはいえ。姿形も同じ、性格も同じ、声も同じのヒロインを、

本当にその設定だけで「完全な別人」だと割り切れるものなのか

Fate/stay night」で、あれだけ熱中してプレイして、

セイバーが去ったときには、信じられないくらい泣いてしまったのに。

士郎以外の男と仲良くしている彼女の姿を見ても、

私は特に何も感じなかったのです。

 

随分と前置きが長くなってしまいましたが

このブログでは、「何故何も感じない」でいられるのかを一生懸命検証してみました。

これが絶対的な正解ではないとは思いますが、

一つの意見として、お目通しいただけると幸いでございます。

 

※注意※

・あくまで素人が思いつくまま検証しただけなので、統計学的な裏付けとか、そういったものは一切ございませんのでご了承ください。

・一部サーヴァントの名前を出しているので、気にされる方はご注意ください。

・サーヴァントがぐだおと仲良くしている・いちゃいちゃしている・持て囃している描写のことをひっくるめて「ぐだデレ」と呼称します。

 

  • そもそも「ぐだデレ」は本当に許されているのか?

 タイトルにもしていて、実は大多数の人が許していなかった、

みたいな状況だと恥ずかしいので、

ツイッターで下記のようなアンケートを実施しました。

 

 

予想の30倍くらいのご協力をいただき、

それなりの票を集めることができたので、そ

れなりに信頼できるデータだと思われます。

 

これを見ると、最も多いのが「特に何も感じてなかった」で45%で、

ほぼ半数の方が私と同じような感覚にあるということがわかります

 

また、どうしても許せないという票は全体の17%程度。

「ちょっと気になる程度」の方は27%で、

これを「許せない側」か「許せる側」のどちらで捉えるか、

難しいところがあるので、

 

 

上記のような意見を参考にしながらも、

「許せない」とまではいかないが「許せる」ほどすんなりと受け入れていない層だと感じましたので、許せない派、許せる派のどちらにも属さない「中立」の層であると判断させていただきます。

 

ただ、これだけだと「過去作知らない奴が投票してるだけだろ!」というツッコミが来る予感があったので、続いて下記の質問も行いました。

 

 

過去作を知らない、という方は全体の20%のみだったので、

8割の方が過去作を知りつつ、なんらかの理由で気にならない、

と回答いただいておりました。

 

どれぐらいの思い入れがあり、どれくらいのファンだったのか、

ということを測るのは中々難しいことではあるのですが、

少なくとも、過去の物語を知った上でFGOを受け入れている方が圧倒的であることは間違いないように見えます。

 

つまり、「許せない」としている方々は少数派で、

大多数の方が「ぐだデレを許している」状況が現実としてあることがわかりました。

※許せない、という方々が間違っている、ということはでございません。

 

  • サーヴァントは別人、を皆すんなり受け入れている?

大前提の検証ができたところで、ここから真相に迫ろう……と考えていたのですが、

先程の【質問②】の「その他」に投票してくれた方々から続々とリプライをいただいたのですが。

 

 

 

 

と、「いや別人だし気にならないし……」

という至極普通のご意見をバシバシ頂戴しました。

 

 まぁしかし、このあたりは想定内で、

ここから「何故なのか」と一歩踏み込むことがこのブログの目的でもあります。

なので、いくら別人と割り切っているとはいえ、

これは答え辛いだろいうという質問を用意しました。

 

 

しかしここが予想外でした。

今、FGOのメインヒロインとして振る舞っているマシュならば、流石に悲しいはずだろう。

それを何故なのかを考えよう、と思っていたのですが、

以外と「特に何も感じない」が過半数の結果となっておりました。

 

この票の詳細が知りたいと思い、続けて質問を投げかけましたが、

 

 

「そもそもマシュが好きじゃない」という方が一定数いるのも軽い衝撃だったのですが、

それ以上に、多くの方が「別人だから」と割り切っており、

現行のキャラクターでも例外ではない、というのが結構な驚きでした。

 

ユーザーの大多数が、「サーヴァント」はそれぞれ別人である、

ということを驚くほど素直に受け入れているのです。

 

これこそが答え。

以上の質問事項からだと「召喚される度に別人となる」という設定こそが全てである、という、当然と言われれば当然過ぎる結果が、現実として出てしまいました。

 

  • 「何処で」設定を受け入れられるのか?

これで検証は終了。

皆、奈須きのこ氏の設定に傅いているのだ。

と締めても良かったのですが。

やはり、もやもやとした疑問は残ります。

 

Fateシリーズの作品は、それぞれが濃厚な密度のお話で、

登場するサーヴァント達になんらかの感情移入はせざろう得ないものだと思っています。

 

派生作品である「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿」でも、

主人公たる「ロード・エルメロイⅡ世」は、

かつての聖杯戦争で従えたサーヴァントに特別な思いを抱き、

それが全く異なる影法師だと知りながらも、

淡い期待を胸に秘めながら、あの夜に消えた背中を追っています。

 

きっと誰もが「ロード・エルメロイⅡ世」のような感情を抱いているはずだし、

上記の思いに共感ができるから、

この作品が支持されている一端であるとも考えているのです。

 

皆、本当に、そんなに簡単に設定を受け入れられるのか?

まだ疑問を残していた私は、再度質問を投げかけました。

 

 

サーヴァントは特定せず、シンプルな質問を投げかけると、

やはり「割り切れる」という方が多数派となっておりますが、

それまでの質問とは違い、半々に近い数字が出てきました。

にも関わらず、それまでの設問だと「別人だから割り切れる」と回答する方が多かったのです。

 

ここで私は、

何処かで「このサーヴァントは別人である」と切り替えられる、

トリガーのような瞬間があるはずだと考えました。

 

そして、下記の質問を投げかけます。

 

 

この質問で、多くの方が「数多くクエストをクリアする中で」お気に入りのサーヴァントとなる、と回答されておりました。

 

ここで私は、

FGOでは、サーヴァントと過ごす時間がトリガーとなり、完全に別個の存在として認識できるようになるのではないか】

という仮説を立てました。

 

  • 仮説の検証

過去作のサーヴァントは過去作のもの。

FGOのサーヴァントはFGOのもの。

と、割り切って認識するためには、そのサーヴァントと過ごす「時間」がキーになるのではないか、というのが私の仮説です。

 

これは、

そのサーヴァントを鍛え、共に数多くのクエストをクリアし、経験を共有する「現実の時間」と

シナリオや幕間に登場し、テキスト内で過ごす「ゲーム内の時間」の2通りがあると考えております。

上記の2つを経験することによって、私のサーヴァント」という認識になり、自分の中で物語を作り上げることによって、過去作という鎖から解き放たれるのではないでしょうか。

 

つまり、通常通り楽しんでいるユーザーは、

 

①サーヴァント召喚→②ストーリー、幕間に登場→③共にクエストをクリアする→④ユーザー毎の物語(解釈)が発生する→⑤別人、と認識する→⑥設定や「ぐだデレ」を見ても、別人なので受け入れられる

 

といったフローが発生しているのではないかと考えました。

(①と②は前後する可能性があります)

 

数多くのサーヴァントが登場する反面、一騎あたりに割けるストーリーにも限界があるのですが、この「時間」の中でそれぞれのユーザーが、各々のストーリーを想像し、「ぐだデレ」に至るまでの経緯を補完することができる、という作用もあるのではないかと思います。

 

他作品のマシュを受け入れられると回答された方も、無意識の内に、

その作品でもきっとマシュと「時間」を過ごせるから

FGO同様に受け入れることができる、

と感じておられたのだと解釈することもできます。

 

これを裏返せば、

「ぐだデレ」が許せないと言っている人は、そのサーヴァントを保有していない・使っていない、から「時間」というトリガーを発生させられていない。

ということになります。

 

そこで、ツイッター上で「ぐだデレ」に否定的な方を探し、

個別に質問を投げかけました。

 

 

※お名前間違えてしまって申し訳ございません。

やはり仮説どおり、この方は特に思い入れのあるサーヴァントを保有していても、使用されておりませんでした。

 

また、別の方にも同じような質問を投げかけたのですが、

 

 

と、こちらも仮説どおりの回答となりました。

また、興味深いと感じたのが下記の質問で、

 

 

つまりこの方は、

保有していない水着BBと玉藻に強烈な違和感を覚えており、

保有している(星4)BBとネロに関しては、そこまで不快感を感じられていないのです。

 

まとめると、「ぐだデレ」を認められない方々は、

 

①(FGOに於ける)設定や「ぐだデレ」を見てしまう→②ストーリー、幕間に登場→③召喚できていない、または敢えて使わないので「時間」というトリガーが発生しない→④別人とは思えず、受け入れられない

 

という、最初に設定やテキストを何処かで目にしてしまい、

「先入観」が入り込んでしまうことでそのサーヴァントを召喚・使用しない。

「時間」が無いので、トリガーが発生しないフローとなってしまったのではないでしょうか。

 

  • まとめ

繰り返しになりますが、Fateシリーズは歴史のあるコンテンツです。

過去作のキャラクターを出すことにより、喜ぶファンも多い一方で、

描き方にも相当の神経を使わないといけないというジレンマがあります。

 

FGOでは度々「宝具スキップ」「オートバトル」の実装を望む声が多くありましたが、

頑なに実装しない背景にも、このような効果を期待していたからなのかもしれません。

 

勿論、理屈抜きでこの設定は嫌いだ、キャラ使ってるけど到底受け入れられない、使ったこと無いけど普通に別人として受け入れられている、といったご意見もあるかと思います。

あくまでも、こちらは私個人の仮説であり、

「別人と受け入れられる人たち」の作用を説明したものになるので、

受け入れられない人でもいっぱいサーヴァントを使えば受け入れられるようになる、といった意見では決してないのでご注意ください。

その他の側面からも、全然ピンとこない、という方がいて当然たとも考えております。

 

しかし、このような理由があって、別人として割り切っているという方がいると私は思っておりますので、

「ぐだデレ」を受け入れている奴はにわかだ、頭がおかしい、だの

「ぐだデレ」を批判している奴は本当にうるさい、ゲーム辞めろ、だのといった

それぞれがそれぞれを攻撃しあう、不毛な論争はできるだけ減ればいいなぁ、と願っております。

 

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*1:ご回答いただいた方々、誠にありがとうございました